また桜が咲いた

1.はじめに

 のんのんびより のんすとっぷ(3期)の最終話(12話)を観た。あまりにも良かったので(まだ観たていない人は是非観てほしい)感想を残しておきたいと思いつつうまく言葉にできずにいたところ、あるフォロワーの方の投稿を見かけた。(掲載許可ありがとうございます)

まさにこれだ、と思った。そこで、 この内容を元に、自分なりに本最終話、さらにはのんのんびより という作品について書いてみようと思う。

便宜的に、話数はアニメのものを用いる。

2.承継

 3期の物語を一言で表すなら、宮内れんげ(以下、れんげ)が「姉」になる物語だ。すなわち、今まで村のみんなから妹のように面倒をみられ、大切にされてきたれんげが、生まれて初めて年下のしおりと出会い(3期4話)、今度は自身がしおりの面倒をみるうちに、徐々に「お姉ちゃん」としての自覚が芽生えるようになる。最終話では、そのしおりにもまた妹・かすみ(こちらは血縁としての妹)が生まれる。そして、れんげは、将来かすみが学校に行くようになったとき面倒をみることを約束するのである(12話)。

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 ここからわかるのが、のんのんびより という物語は、自らが年長者から与えられてきたものを年少者にまた与えていくという承継の物語であるということである。そして、れんげが物語で度々口にする「お姉ちゃん」(=「姉」)とは、このような与える側の立場を意味している。(具体的に何を与えるのかは一言で説明するのは難しい。「面倒」や「世話」では言葉として軽すぎる、思い出や愛を包含した何かである。適切な言葉が思い浮かばないが、「愛情」が近い気がするので便宜上そう書く。)

 

 そうしてみると、3期は多くの話が、誰かが誰かの「姉」としての側面が強いものであったことがわかる(もちろん他の期においてもこのような話は多い)。特にその傾向が強いものを挙げれば、

 1話では、富士宮このみ(以下、このみ)は篠田あかね(以下、あかね)の人見知り克服の背中を押す。このみとあかねはれんげにリコーダーを教える。

 2話では、このみと小鞠が蛍にお姉ちゃんぶる。また、このみが小鞠の小さい頃よくおんぶをしていた話が出てくる。

 3話では、宮内ひかげ(以下、ひかげ)は、越谷夏海(以下、夏海)が怪我をして迷子になったところを迎えにくる。

 4話では、れんげが眠ったしおりをおんぶして布団へ運ぶ。

 7話では、夏海がれんげの捕まえたカニ(お塩)の水槽づくりを手伝う。

 8話では、このみにお世話になったことをあかねが強く自覚する。

 11話では、宮内一穂(以下、一穂)と加賀山楓(以下、楓)が酔っ払ってれんげやみんなの成長を喜ぶ。さらに一穂は楓が優しく育ったことをも嬉しがる。

 12話は、上に書いた。

 

 れんげはこれからしおりやかすみに愛情を与えていくことになるが、れんげもまたそれを小鞠・夏海・蛍に与えられてきた(これは言わずもがなである)のであり、彼女らもまたひかげ・このみから与えられてきたのであり、ひかげ・このみもまた楓・一穂から与えられてきたのだろう。原作には、一穂も越谷母に面倒をみられてきたという話も出てくる。このように、れんげは連綿と与えられ、承継されてきた愛情を、今度は与え、承継する側、すなわち「姉」になるのである(※1)

 小鞠・夏海・蛍と一口に言ってもその内部で小鞠→夏海(1期3話など)や小鞠→蛍(2期2話など)の関係がある(このみ→ひかげ、一穂→楓も同様である。)。また、当然ながら、例えば楓はこのみ・ひかげのみに愛情を与えてきた訳ではなく、その下の小鞠・夏海・蛍や、さらに下のれんげに愛情を与えているのであり、矢印は幾重にも伸びている。その意味で、この関係性は重層的である。

 

※1:そう考えれば石川ほのかがれんげにとって特別な存在であることがよりよくわかる気がする。ほのかはれんげにとって、人生で唯一の、与えられる側でも与える側でもない人間なのである。

3.大人

 ところで、12話にはこのようなシーンがある。  

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 このみは、れんげがしおりを引き連れて遊ぶ(ここには「姉」感が満ちあふれている)様子を見て、感慨に浸る。このみが専ら(※2)下の世代に愛情を与え、見守る側になったことが端的に示されている。

そして、この前話(11話)において、大人である一穂や楓が下の世代の成長を喜ぶのも、下の世代を見守る視点そのものである(酒は大人という立場を強く感じさせる舞台装置である)。

 つまり、このみは、一穂や楓と同じ大人になったのだ。一穂や楓に愛情を与えられてきた方であったこのみがだ。自らもまたひかげに、小鞠や夏海に、蛍に、れんげに「姉」として与えるうちに、このみは大人になったのである。これは、一穂や楓が通ってきた道である。

 一方、上のシーンでひかげはこのみの感慨に対し、「なんだそりゃ」と返す。本当にピンときてないのかもしれないし、少し思うところがありつつも茶化しているのかもしれない(何となく後者な気がしている)が、とにかく素直に肯定するほどの強い共感には至っていない。しかし、このみが大人になった今、次に大人になるのはひかげであり、その意味で彼女は過渡期にある(※3)。このみが感慨をあえてひかげに口にしたのも、遠くない未来に自分と同じく大人になるひかげへのシンパシーかもしれない。

 そして、大人になっていく彼女たちの姿は、れんげの未来の姿でもある。なぜなら、れんげもまた、ひかげやこのみがしてきたように「姉」への一歩を踏み出したからだ。

 

※2大人が「専ら」与える側とは書いたが、大人になった彼女たちがもはや上の世代(「姉」)たちから愛情を与えられないわけではない。11話でも、一穂は大人の楓の成長を喜んでいる。大人になっても、その「姉」は「姉」のままなのである。

 

※3:このように考えると、お年玉回(3期10話)で率先して(ひかげを陥れるためだが)お年玉をみんなに配るこのみとこのみに倣って(陥れられたのだが)お年玉をみんなに配るひかげというシーンは、大人になっていく暗示とみることもできるだろう。

 

 

4.まとめ

 れんげは「姉」になり、これからしおりやかすみに愛情を与えていく立場になる。それは、蛍が、夏海が、小鞠が、(卓が、)ひかげが、このみが、楓が、一穂がそうしてきたようにである。そして、れんげがみんなに与えられてきた大きな愛情を、れんげもまた与えていくのだろう。

 やがてれんげも大人になる。一穂が、楓が、このみがそうしてきたように、ひかげが、(卓が、)小鞠が、夏海が、蛍がそうするようにである。そして、れんげも大人になった時には、楓がれんげに抱くような感情を誰かに抱くのだろう。

 小さかったれんげが「姉」になり、大人になっていく成長を思うと、目頭を熱くせずにはいられない


 

 3期12話ほど美しい最終回もなかなかないと思う。今まで作品を通して描かれてきたものは、れんげたちの未来そのものであり、一穂たちの過去そのものだ。その意味で、最終回は、作品全体の内容を媒介して、れんげや、それだけではなく全ての登場人物の小学一年生から大人になるまでを(この観点においては)知らず知らずのうちに想像させてくれる仕掛けになっているのである。

 

 でも、やっぱりれんげが中学生になってしおりやかすみと過ごす日常もこの目で見て見たい。いつかスピンオフが描かれるのを楽しみに待とうと思う。どうか…

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略図